銅像情報共有掲示板 378053

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銅像ギャラリー更新状況(徳島県)

1:ヒロ団長 :

2021/02/24 (Wed) 23:50:53

NEW銅像ギャラリー 徳島県の移設が完了しました。
https://douzou.fortunastella.com/tokushima/

区分けを以下に変更しました。
■東部(徳島市)
■東部(鳴門市、小松島市、吉野川市、阿波市、勝浦郡、名東郡、名西郡、板野郡)
■西部(美馬市、三好市、美馬郡、三好郡)
■南部(阿南市、那賀郡、海部郡)


大きな情報の変更はありません。


山本最純 神山町鬼籠野小学校が閉校したようです。

https://douzou.fortunastella.com/2021/02/24/%e5%b1%b1%e6%9c%ac%e6%9c%80%e7%b4%94%ef%bc%88%e7%a5%9e%e5%b1%b1%e7%94%ba%ef%bc%89/


林さんへ>
■松江豊寿(鳴門市) についてページを追加しました。
編集権限は林さんに付与いたしましたので、もし必要であれば編集いただいて構いません。画像も小さくしてしまったので変更してもらって問題ないです
地図については、万が一削除されてもこちらで再度追加します。
https://douzou.fortunastella.com/2021/02/24/%e6%9d%be%e6%b1%9f%e8%b1%8a%e5%af%bf%ef%bc%88%e9%b3%b4%e9%96%80%e5%b8%82%ef%bc%89/
2:林 久治 :

2021/02/25 (Thu) 08:59:58

団長様
徳島県の移設完成はご苦労様でした。
徳島県は私の出身地ですので、関心があります。
今回の移設で、次のお願いがあります。
①真鍋勝(美馬市)となっていますが、所在地は「つるぎ町」です。
②私が投稿した、五寶翁太郎(徳島市)、長井長義(徳島市)の2体、および喜田貞吉(小松島市)の欄に地図を挿入できませんでしたので、よろしくお願いいたします。
3:ヒロ団長 :

2021/02/25 (Thu) 21:50:34

林さん>
徳島出身でしたか。
徳島には、源義経騎馬像をメインとして銅像探索をしたものですw
徳島市市街地と眉山の風景が印象深かったです!

ご指摘の2項目について完了しました。

徳島県の区分けは 東部、西部、南部で問題なさそうでしょうか?
4:林 久治 :

2021/02/26 (Fri) 09:45:55

団長様
徳島県の銅像の件で、私の要望を早速叶えていただき、有難うございました。徳島県の区分には問題なさそうです。
私は、「徳島県の3大銅像は、義経像、神武天皇像、およびモラエス像である」と思います。私が銅像探偵団に参加した頃に、これら3像は既に収録されていましたので、私が資料を提出する資格がありませんでした。しかし、私のHPの乱歩欄に「眉山に神武天皇像が建立された理由」と題する記事を書いています。そのURLをお知らせします。
URL:http://masaniwa.web.fc2.com/RW-47.pdf
私の考えは本記事に詳しく書きましたが、要約は以下の通りです。
①「神武天皇の銅像はなぜ全国で2番目に、徳島市の眉山に建立されたのであろうか?しかも、徳島市民の運動ではなく、明治天皇の指示で!」との疑問が誰にでも生じるはずである。なお、私は「豊橋に神武天皇の銅像が日本で初めて建立されたのは日清戦争の最中で、豊橋に陸軍の連隊があり、戦意を高揚するために造ったのであろう」と納得できる。それでは、「日清戦争の勝利直後に、神武天皇像が建立されたのは日本中で徳島の眉山のみであった」という理由は何であろうか?
②日本国は日清戦争で、初めて外国に完勝したのである。明治天皇は、その喜びを表現する有力な手段として、徳島市の眉山に神武天皇像を建立したのであった。
③皇室には古代史の真実が秘伝されて来たのではなかろうか。つまり、「古事記の神代神話は、全て阿波国内で起こった史実である。高天原は剣山周辺の山間部で、出雲国(葦原中つ国)は阿波(当時は伊国)の海岸部である。高千穂峰は気延山か友内山(2説あり)である。勿論、神武東征は眉山(当時は伊乃山:いのやま)から出発した。」
④古事記には、天孫降臨は日向で起こり、国譲りは出雲で行われたと書かれているが、真実は日向も出雲も元来は阿波国内の地名であった。古事記の編纂時に、日向は宮崎地方、出雲は島根途方にすり替えて、日本古代史の真実を隠匿したのである。
5:ヒロ団長 :

2021/02/28 (Sun) 16:46:06

林さん>
「眉山に神武天皇像が建立された理由」は興味深い記事でした。
この銅像掲示板で皆さまのいろんな考察が出ているので面白いです!!
6:ワインカラー :

2021/03/02 (Tue) 21:09:24

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_878100/878041/full/878041_1614686964.jpg 団長様

右の写真は20年以上前に美馬郡脇町(現在の美馬市)の岩倉八幡神社の石段下で撮影した藤田武雄という人物の胸像で、徳島県のギャラリーと指名手配銅像には掲載されていません。
この像が5月2019のストリートビュー(URL)で見当たらないので、岩倉八幡神社に問い合わせたところ、平成30年(2018)の何月かに事情があって撤去されたとのことでした。
私は残念に思いましたが、ストリートビュー画面左上の「ストリートビュー」表示をクリックすると過去の画像が見れることを思い出して試してみると、7月2018までは建立されていることが分かりました。(下の欄のURL)
ですから平成30年(2018)後半に撤去されたことになります。
山形県・置賜地域の「大河原圓之助と大河原茂男」の例もありますので、下に胸像部分のトリミング写真とデータを投稿します。
碑像マップマッピング済です。

藤田武雄像について調べていた際に、2つのブログで徳島県のギャラリーと指名手配銅像に掲載されていない銅像を4体見つけました。
1体は武市恭信像で県立つるぎ高校北の国道438号沿いの緑地に建立されています。
https://nishiawa31.exblog.jp/28919116/(リンク切れ)
残りの3体は建立場所が分かりませんでしたので、つるぎ町教育委員会に確認したところ、それぞれの像の緯度経度を教えていただきました。
グーグルマップの検索欄に緯度経度の半角数字を入力して検索すると、銅像のすぐ近くに飛びますので、ストリートビューで探索することが出来ます。
◯逢坂佐馬之助像(34.0312 134.03272)
◯大久保亀吉像(34.03951 134.03356)
◯近藤ナヲ像(34.03005 134.03080)
http://e-school.e-tokushima.or.jp/tsurugi/es/handa/html/htdocs/?action=common_download_main&upload_id=12

7:ワインカラー :

2021/03/02 (Tue) 21:23:17

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_878100/878041/full/878041_1614687797.jpg 藤田武雄翁之像

生年:不詳
没年:不詳
最終学歴:不明
主な経歴:岩倉村長
       徳島県会議員
       徳島県会副議長      
建立場所:美馬市脇町東山1710
       (岩倉八幡神社〈撤去〉)
建立時期:不明
撤去時期:平成30年(2018)後半
制作者:不明
8:ヒロ団長 :

2021/03/02 (Tue) 22:25:40

ワインカラーさん>
情報提供ありがとうございます。
少し 処理能力が許容量を超えそうですが(汗)
追いついて更新作業をしていきたいと思います。
9:ワインカラー  :

2023/02/16 (Thu) 18:49:46

団長様

徳島県のギャラリーと指名手配銅像には掲載されていない銅像2体についての情報を投稿します。

■東部:名東郡佐那河内村佐那河内郵便局前の山根玉峰胸像
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E5%B1%B1%E6%A0%B9%E7%8E%89%E5%B3%B0&fr=top_ga1_sa&ei=UTF-8&ts=2076&aq=-1&ai=c55ae755-fbd9-4c94-afb3-de73b3e21a3d&x=nl

先週投稿した桑原寛一胸像の制作者の可能性がある小野寺玉峰について調べていて、同名ということで見つけました。
https://douzouhiroba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=13893590

山根玉峰胸像についての記事は、徳島新聞のサイトに掲載されていましたが、会員登録をしていないのでほとんど読めません。
https://www.topics.or.jp/articles/-/686767

たぶん、佐那河内村役場前に建立されていると思ったのですが、山根玉峰胸像が建立されている後ろのモダンな建物が、佐那河内村役場とは違います。
https://maps.pref.tokushima.lg.jp/ud/search/facility_1335.html

建立されているのはどこなんだろう?と思った時に、佐那河内村広報誌2022年4月号17ページに山根玉峰胸像の除幕式についての記事が載っているのを見つけました。
記事にはどの建物の前ということは述べられていませんでしたが、建物の写真にJP郵便局の表示がありました。
https://www.vill.sanagochi.lg.jp/docs/2020022700014/file_contents/42022.pdf

佐那河内郵便局前で間違いないと思ったのですが、ポストマップで佐那河内郵便局の写真を見ると違います。
https://www.postmap.org/map?id=71431

佐那河内郵便局でない郵便局?と思ったのですが、調べてみると、令和4年(2022)3月に新装なった佐奈河内村役場に佐奈河内郵便局が同年4月18日に移転入居していました。
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20220418002184.html

■西部:美馬市建設会社敷地内の内藤武敏立像

20年以上前に国道193号線沿いで見つけて、フィルムカメラで撮った像で、10年ぐらい前に心当たりの所をストリートビューで辿ったところ、見つからなかったので撤去されたのだと思い、「思い出」と「場所不確か」のタグを付けて碑像マップに投稿しました。

この像の写真を見ると、台座の名称表示の部分のほとんどが写ってないので誰の像か分りません。
そして、像が撤去されているのであれば、それを確かめることも出来ません。

ですから、本来なら迷宮入りするところですが、この像の写真以外に台座の裏の碑文の写真も保存していました。
当時は台座の碑文を必ず撮るようにはしていなかったので、やや斜めからではありますが撮っていたのはラッキーでした。
また、台座の碑文の文字が摩耗等で読めないケースがよくありますが、この像の台座の碑文は読めて、名前,出身地,経歴,建立時期等が分りました。

ただ、もっと情報が欲しいと名前をネット検索をしたところ、同姓同名の俳優しかヒットしませんでした。
また、像が撤去されているために、元の建立場所が分りませんでしたので、美馬市教育委員会に問い合わせたところ、「建設会社の敷地内に建っていましたが、建設会社が移転し葬祭場になった頃に、像も内藤氏の親族の家に移設されたと聞いています」とのことでした。

内藤武敏立像の写真及びデータと台座の碑文の写真を下に投稿します。
10:ワインカラー  :

2023/02/16 (Thu) 21:08:41

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_878100/878041/full/878041_1676549321.jpg 内藤武敏翁之像

生年:明治45年(1912)7月
没年:昭和58年(1983)9月16日享年71
最終学歴:旧制脇町中学校卒業
主な経歴:呉海軍工廠
       三島村役場
       穴吹町助役      
建立者:内藤武敏翁之像建立委員会
建立場所:美馬市穴吹町三島字三谷265-2
                       〈撤去〉
建立時期:昭和59年(1984)5月3日
撤去時期:不明
制作者:不明
11:ワインカラー  :

2023/02/16 (Thu) 21:11:32

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_878100/878041/full/878041_1676549492.jpg 内藤武敏翁之像〔碑文〕

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