銅像情報共有掲示板

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東京都の銅像 - 林 久治

2021/10/16 (Sat) 10:32:59

団長様
東京都大田区の銅像情報を投稿します。本像は「新日本の銅像ギャラリー」の「東京都大田区欄」に未収録なので、私が本欄に記載することを希望します。
片柳 鴻(大田区)
設置場所:東京都大田区西蒲田5-23-22 東京工科大学蒲田キャンパス3号館エントランス 
設置時期:2021年7 月 10 日除幕式 片柳先生の三回忌
制作者:竹中銅器、原型作者:熊谷友児(1954- )
画像提供:林久治
設置経緯:片柳 鴻(かたやなぎ こう、1920年10月8日 - 2019年8月15日)先生は、栃木県佐野市にて出生。日本の教育者、芸術家。創美学園(現:学校法人片柳学園)の創立者、同学園理事長。東京芝浦電気(現:東芝)に勤務していたが、学生教育を志して依願退職し、1947年に絵画と洋裁を専門とする学校「創美学園」を立ち上げた。1953年に日本テレビ技術学校設立。1976年に日本工学院専門学校と校名を改称。1986年に東京工科大学を開校。

Re: 東京都の銅像 - 林 久治 URL

2021/10/17 (Sun) 11:02:30

②東京都品川区の銅像情報を投稿します。本像は「新日本の銅像ギャラリー」の「東京都品川区欄」に収録されています。しかし、収録写真は非常に不鮮明ですので、本投稿写真を掲載いただくようお願い申し上げます。
E.S.モース(品川区)
設置場所:東京都品川区大井6-21-6 大森遺跡庭園
設置時期:不明
制作者:立体写真像 代表者盛岡公彦
画像提供:うさぎ屋さん、林久治⇒銅像探索記/f
http://masaniwa.web.fc2.com/RW-170.pdf
設置経緯:大森貝塚は、明治10年(1877)アメリカ人エドワード・S・モース博士(1838-1925)によって発見され、日本で初めて学術調査が行われた縄文時代後期から晩期の貝塚遺跡で、日本考古学発祥の地である。品川区はモース博士生誕の地であるアメリカ合衆国メイン州ポートランド市との姉妹都市提携を記念してこの像を建立した。

Re: 東京都の銅像 - 林 久治 URL

2021/10/20 (Wed) 09:56:50

団長様
③御嶽神社の渡辺菊太郎像は、「新日本の銅像ギャラリー」の「東京都大田区欄」に収録されています。そこには「御嶽教の創始者」と書かれています。確かに、「彼が創始者である」との記事は少なくありませんが、「下山応助が創始者である」との記事が主流のようです(例えば、文化庁編「宗教年鑑」)そこで、私は御嶽神社に行って、渡辺菊太郎像周辺の銘文を調査して来ました。その結果、私は次の結論に達しました。「御嶽教の創始者は下山応助である。渡辺菊太郎は御嶽信仰の先達であり、御嶽教の創始に指導的な役割を果たしたが、創始者ではない。」そこで、以下の紹介文を、「渡辺菊太郎像」欄のコメントに書かせていただくようお願いいたします。
渡辺菊太郎(大田区)
設置場所:東京都大田区北嶺町37-20 御嶽神社拝殿裏
設置時期:1905年9月 69歳生存中の像
修復:1940年10月
原型:河村喜平、鋳物師:西村和泉(江戸神田の鋳物師で、延宝年間(1673-1681)から大正時代まで11代続いた家で、代々同じ銘を使っている。)
画像提供:しんざえもんさん
銅像探索記:林久治
http://masaniwa.web.fc2.com/RW-171.pdf
設置経緯:御嶽教創始者は下山応助(生没不詳)で、1873年(明治6)の教団結成に際し、全国の御嶽講社及び信徒の糾合に尽力し、御嶽教立教の功労者として創祖霊神と奉称されている。渡辺菊太郎(1836頃-?)は東京の高砂大神講の先達で御嶽教立ち上げの際活躍した人。

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