銅像情報共有掲示板 260795

銅像情報共有掲示板


横浜市の銅像

1:林 久治 :

2024/04/21 (Sun) 08:54:05

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_878100/878041/full/878041_1713657246.jpg 団長様
諸般の事情で、私は銅像探索を暫く休業しておりましたが、4月20日から再開しました。今回の1基目は「神奈川県の銅像指名手配」欄にある安藤像です。2基目の井伊像は「new日本の銅像ギャラリー」の横浜市欄に収録されておりますが、新規情報を投稿します。
安藤百福(横浜市中区)
設置場所:横浜市中区新港2-3-4 カップヌードルミュージアム2階展示室
原型制作:立体写真像
鋳造:黒谷美術(大きさ:H196cm W96cm D60.5cm、素材:アルミ)
設置時期:2011年7月
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:安藤百福(あんどう・ももふく)氏は、チキンラーメンやカップヌードルでお馴染みの日清食品を創業した実業家(1910年3月5日-2007年1月5日)です。日本統治時代の台湾出身で、若くして繊維事業で成功し、日本に進出後も幻灯機の製造やバラック住宅の製造、炭焼き、製塩、学校の設立など様々な事業を手掛けました。多くの成功を収めた実業家人生の一方で、戦前戦後においては、いわれなき罪で投獄されたり、また請われて理事長に就任した信用組合が破綻して、47歳の時に全財産を失うなどの苦難も経験しました。そして、48歳の時に一念発起して開発した「チキンラーメン」を成功させ、一代で日本を代表する食品メーカーの日清食品を築き上げました。96歳で人生を全うするまで、クリエイティヴな発想と最後まであきらめない執念を持ち続け、会社経営や財団運営など精力的に活動を続けました。なお、海外では、世界の食文化を変えた「即席麺」の発明者として高く評価されており、2006年のタイム誌アジア版60周年記念特集「60年間のアジアの英雄」において、その一人に選ばれました。
2:林 久治 :

2024/04/21 (Sun) 08:56:04

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_878100/878041/full/878041_1713657365.jpg 井伊直弼(横浜市西区)
設置場所:横浜市西区戸部町3-84-8 掃部山公園
初代原型作者:藤田文蔵、鋳造:岡崎雪聲、台石設計:妻木頼黄 
初代除幕式:1909年7月11日、初代供出:1943年
2代目制作者:慶寺丹長
2代目制作時期:1954年6月2日 開国100年祭に再建
画像提供:ヒロ団長、林久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:1882年頃に旧彦根藩の士族らが、故井伊掃部頭直弼(1815年11月29日-1860年3月24日)の記念碑建設のため、 この「鉄道山(現:掃部山)」と呼ばれていた丘を買収し、井伊家の所有とした。 それに伴い、当時井伊直弼が名乗っていた「井伊掃部頭直弼(いい・もんのかみ・おすけ)」に 因んで「掃部山(かもんやま)」と呼ぶようになった。元々は記念碑を建立する計画が1881年に発起されたが、1903年にいたって銅像建立に変更された。初代の像は、1909年6月26日に竣工し、同年の7月11日14時半より除幕式が行われた。立像の高さは1丈2尺(3m60cm)で、「正四位上左近衛権中将」の正装をしている。台石の高さは2丈2尺(6m60cm)。銅像の除幕にあたっては、掃部頭の評価をめぐりひと悶着あったようだ。その上この銅像は、第二次世界大戦の時に金属回収の犠牲となり、供出の憂き目にあった。現銅像は、1954年の開国100年祭に、横浜市の依頼により制作されたもので、その重さは約四トン。なお台石は、創建当初のものが残っている。

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