銅像情報共有掲示板

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品川区などの銅像 - 林 久治 URL

2022/10/21 (Fri) 21:45:48

団長様
今回は、品川区などの銅像を投稿します。①は品川区の銅像で「新日本の銅像ギャラリー」に収録されていません。②と③は収録されていますが、新規情報を投稿します。④と⑤は「新日本の銅像ギャラリー」の記載にミスプリを発見しましたので報告いたします。
①町田佳聲(品川区)
設置場所:東京都品川区南品川6-8-20 日本民謡会館玄関内
制作者:サインはあったが解読不能
設置時期:1975年11月(米寿記念)
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f
http://masaniwa.web.fc2.com/RW-205.pdf
設置経緯:町田佳聲(かしょう、本名 :嘉章、1888.6.8.-1981.9.19.)は近世邦楽・日本民謡研究家、作曲家。群馬県伊勢崎生まれ。1907年東京美術学校図案科に入学したが、眼病のため三味線の研究に専心,1913年同校卒業後,「時事新報」の芸能・邦楽担当記者となり,町田博三の筆名で執筆。 20年古曲保存会を設立,邦楽レコードを制作。 25年東京中央放送局に入り邦楽番組を担当。伶明音楽会を組織して五線譜による邦楽演奏家を養成。放送局退職後,民謡の採集に着手,かたわら「日本民謡大観」編集に従事。東京芸術大学音楽学部講師,東洋音楽学会2代目会長などもつとめた。 NHK放送文化賞,紫綬褒章など受章。主著「ラジオ邦楽の鑑賞」など。作曲面では宮城道雄らの新日本音楽の中心人物の1人として活躍したほか、北原白秋の依頼で作曲した新民謡、とくに「チャッキリ節」(1927)が広く知られる。町田氏は生涯をかけて収集した資料や研究資料を日本民謡協会へ寄贈し、貴重な資料を散逸せず後世へとつなげ、現在でも多くに研究者の研究対象となっている。

Re: 品川区などの銅像 - 林 久治 URL

2022/10/21 (Fri) 21:47:57

②石井鐵太郎(品川区)
設置場所:東京都品川区北品川2-7-21 品川区立聖蹟公園
制作者:小金井幾久(1915-2003)
設置時期:1979年
画像提供:たぐってぃさん
林久治⇒銅像探索記/f
http://masaniwa.web.fc2.com/RW-205.pdf
設置経緯:石井鐵太郎氏(1893-1978)は、東京産業信用金庫(現さわやか信用金庫)の会長を務め、また長らく地元の社会福祉活動にも尽力してきた人物。1975年12月5日には、品川名誉区民第1号に列せられた。

Re: 品川区などの銅像 - 林 久治 URL

2022/10/21 (Fri) 21:51:51

③高木正年(品川区)
設置場所:東京都品川区南品川1-1-1 妙蓮寺境内
制作者:小金井幾久(1915-2003)
設置時期:1963年
画像提供:NANAKOさん
林久治⇒銅像探索記/f
http://masaniwa.web.fc2.com/RW-205.pdf
設置経緯:高木正年(まさとし、1857年1月4日- 1934年12月31日)は、日本の政治家。日本初の視覚障害をもつ衆議院議員であった。正年は武蔵国荏原郡南品川で質屋を営んでいた細井半兵衛以年の三男として生まれる。幼くして英才の誉れあり、親戚の高木一兵衛以考の養子になる。この養父は幕臣で本草学者であったという。12~16歳時に、隣家に隠棲していた木村芥舟に学ぶ。その後、猿渡容盛、井上頼圀、江木高遠に学ぶ。1883年の第2期東京府会議員に当選する。1890年、第1回総選挙に立候補して当選し、衆議院議員になる。34歳だった。1892年の第3回総選挙では、第1次松方内閣の選挙大干渉にあい落選した。これは失明前の唯一の落選であった。当選回数は計13回、議員生活39年に及んだ。1897年、40歳の時に緑内障のために失明した。同僚議員柴四朗の励ましなどにより失明からの立直りは一般の失明者に比べて早かった。失明の身で広い選挙区(第5区=荏原郡・豊多摩・伊豆七島)をまわり、選挙運動にも励んだ。1903年の第1回全国盲人大会に出席した。「道ひとすじ―昭和を生きた盲人たち―」で、昭和時代に活躍した著名な盲人100人の一人に挙げられている。

Re: 品川区などの銅像 - 林 久治 URL

2022/10/21 (Fri) 21:53:03

④真鍋儀十像が「新日本の銅像ギャラリー」の「台東区」欄に収録されています。しかし、設置場所は「江東区 まなべ幼稚園」となっています。「まなべ幼稚園」のストリートビューを見ますと、確かに幼稚園の正門付近に本像がありました。従って、「台東区」欄は間違いと思いますので、「江東区」に移動をお願いします。

Re: 品川区などの銅像 - 林 久治 URL

2022/10/21 (Fri) 21:54:55

⑤丸木正美像が「新日本の銅像ギャラリー」の「埼玉県川越地域」欄に収録されています。しかし、他の記事では、丸木先生の名前は「清美」が正しいようです。また、本像の設置場所は、下記のサイトでは「埼玉医科大学学習棟前」となっています。「学習棟」のストリートビューを見ますと、確かに本棟前に本像がありました。
本像のサイト:https://www.dsecchi.mext.go.jp/2110nsyutei/pdf/saitamaika_2110nsyutei1.pdf

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