銅像情報共有掲示板

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荒川区の銅像 - 林 久治 URL

2022/10/31 (Mon) 16:41:32

団長様
荒川区の銅像を3基投稿します。最初の2基は「新日本の銅像ギャラリー」に収録されていません。最後の銅像は収録されていますが、新規情報を投稿します。なお、前回の投稿で、埼玉県川越地域の丸木清美像と東京都台東区欄に収録されている真鍋儀十像の誤記載をお知らせしましたが、未だ未修正です。データーベースとしての信頼性を保つため、よろしくご修正をお願いいたします。
橋本左内(荒川区)
設置場所:東京都荒川区南千住6-63-1 荒川ふるさと文化館玄関前
原型陶像:福井県提供
鋳造者:荒川区在住の鋳造師・菓子満(かし・みつる、1938-)
除幕式:2010年3月23日
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f
http://masaniwa.web.fc2.com/RW-206.pdf
設置経緯:橋本左内(1834年4月19日-1859年11月1日)は福井藩医の橋本長綱の長男として越前国常磐町に生まれる。1849年、大坂に出て適塾で緒方洪庵に師事。左内は福井藩中でも随一の俊英として高く評価され、若くして福井藩主・松平春嶽の側近となり、早期の幕政改革や開国の必要性を訴えた。しかし、1859年、大老・井伊直弼が主導する安政の大獄において、幕政批判と将軍家継嗣への介入を咎められ、江戸・小伝馬町の牢屋敷において斬刑となり、遺体は小塚原(現・荒川区南千住 5 丁目)の回向院に埋葬された。享年26。1933年6月、回向院墓所の套堂落成式が行われた。2005年12月、回向院の境内整備に伴い、橋本左内の墓が同院史跡エリアに移されることになり、併せて新套堂が建設された。旧套堂は荒川ふるさと文化館に復元され、2010年3月23日に落成式が行われ、併せて本像が除幕された。

Re: 荒川区の銅像 - 林 久治 URL

2022/10/31 (Mon) 16:44:06

聖ドンボスコ(荒川区)
設置場所:東京都荒川区荒川3-11-1 カトリック三河島教会玄関前
制作者:不明
寄贈日:2009年11月7日 ドン・ボスコ保育園75周年
寄贈者;白澤美代子
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f
http://masaniwa.web.fc2.com/RW-207.pdf
設置経緯:ヨハネ・ボスコ(1815年8月16日-1888年1月31日)は、イタリア・ピエモンテ州の生まれ。1835年から1841年までキエリの大神学校で哲学、神学を学んだ後、1841年、当時のサルデーニャ王国の首都トリノで司祭に叙階された(ドンはイタリア語で司祭への敬称)。19世紀後半のイタリア統一運動と産業革命の中で青少年たちが放置される現実に直面し、もっとも貧しい青少年たちのために生涯を捧げることを決意し、1859年にサレジオ会を設立。1934年に列聖。現在、サレジオ会の本部はローマにあり、ドンボスコの理想を引き継いで世界中で青少年教育活動を行っている。
カトリック三河島教会にはドンボスコ保育園、ドンボスコ子育てセンターがあり、ボーイスカウト荒川2団、ガールスカウト東京108団、そして教会学校と青少年の活躍が目立つ。地元では教会と言うよりは「ドンボスコ」の名で親しまれている。1933年、東京大司教のシャンボン(1875-1948)は、サレジオ会に東京の三河島地区に教会を作ることを依頼した。当時、三河島周辺には教会は無く、浅草、本所、本郷が一番近い教会であった。この三河島地区には町工場が多く、小さい家にはたくさんの子供たちがいた。青少年の教育をモットーとするサレジオ会にとって願ってもない働き場であった。シャンボン大司教はサレジオ会の精神に従って自由に会員が働けるように配慮した。教会と同じ敷地にあるドンボスコ保育園は、1934年4月1日に開園した。

Re: 荒川区の銅像 - 林 久治 URL

2022/10/31 (Mon) 16:48:24

井上省三(荒川区)
設置場所:東京都荒川区南千住6-27-7 官営千住製絨所跡
建立日:1936年12月14日 除幕式
建立者:井上省三記念事業(五十周忌)
制作者:高須俊彦(井上省三の甥)
画像提供:たぐってぃさん
林久治⇒銅像探索記/f
http://masaniwa.web.fc2.com/RW-207.pdf
設置経緯:井上省三(1845年11月14日-1886年12月14日)は「日本の毛織物工業の父」と呼ばれる。長門国厚狭郡宇津井村(現 下関市)の素封家・伯野家に生まれ、幼くして同郡厚狭村(現 山陽小野田市)の厚狭毛利家の家臣・井上家の養子となる。1868年、山口の兵学校で蘭学を学ぶ。やがて木戸孝允に才能を認められ、上京。1870年、ドイツのベルリンに留学。初めは兵学を学ぶが、国を強くするには産業の育成が必要だと考え直し、毛織物工場に職工として入って製絨技術(ラシャなどの毛織物を織る技術)を身に付ける。1875年に帰国。その後、内務省に出仕。このころ国は殖産興業政策の下で毛織物工場の建設を決定し、その準備を省三に命じる。省三は機械の購入などのため再びドイツへ。1877年、ドイツ人の妻を伴って帰国。1879年、東京に日本初の毛織物工場である官営の「千住製絨所」を開業させ、初代所長として日本の毛織物工業の発展の礎を築く。しかし病に倒れ、志半ばで1886年、満41歳で死亡。
なお、1937年1月19日に、熱海海藏寺境内にて、同じ胸像の除幕式が行われた。

Re: 荒川区の銅像 ヒロ団長

2022/11/03 (Thu) 22:14:18

林さん>
荒川区の銅像ありがとうございます。

前回投稿でご指摘いただいた分については修正いたしました。
最近、活動ができておらず申し訳ないです

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