銅像情報共有掲示板

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東京都の銅像 - 林 久治 URL

2024/01/30 (Tue) 15:19:53

団長様
前回の投稿(2024/01/21 (Sun) 11:24:18)で、台東区の坂本龍之輔先生像を紹介しました。その際、銅像周辺からは本像の制作者や制作時期が不明でした。そこで、私は1月27日に台東区中央図書館に行って、これらの情報の調査を依頼しました。その結果、資料室の菊池さんが大正時代の新聞復刻版から、本像の除幕式の記事があることを発見されました。添付写真はその記事のコピーです。掲載は、1992年3月6日の朝日新聞・東京版夕刊です。他に、3月3日の記事もあり。これらの記事より以下の事実が判明しました。
① 本像の制作者は、山田眞山氏(1885.12.27 – 1977.1.29)である。
②本像の除幕式は、1922年3月5日に萬年小学校校内で東京市長などの列席で盛大に挙行された。胸像建立の目的は、坂本先生の退職記念のようです。
③ 除幕式には、坂本先生も出席され、「感涙を流された」と報道されている。
ネット記事では、坂本龍之輔像の紹介記事は少々あります。しかし、本像の制作者や除幕式を報道した記事は皆無で、今回の発見は「日本の銅像研究史上」極めて重要であると思います。貼付のURLに、本発見の内容を書き加えました。

Re: 東京都の銅像 - 林 久治 URL

2024/01/30 (Tue) 15:22:43

1月27日に台東区中央図書館に行ったついでに、日暮里駅前の大田道灌像と紅皿像も探索しました。「new日本の銅像ギャラリー」の荒川区欄の両像の記載は少ないので、追加情報を投稿します。
太田道灌(荒川区)
設置場所:東京都荒川区西日暮里2-19 JR日暮里駅東口ロータリー
制作者:橋本活道(北村西望の弟子で僧侶)
設置時期:1989年12月
寄贈者:東京荒川ライオンズクラブ創立25周年を記念
画像提供:ヒロ団長
林久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:本像の傍に「回天一枝」と題する案内板がある。その内容は次の通りである。
「「回天一枝」橋本活道
道灌の「山吹の一枝」の故事にちなんで、それを契機に文の道に目覚めたという道灌が、まさに「回天」の勢いで文の道を極めていったことを表現しようと「回天一枝」という作品名を、作者の橋本氏と鈴木俊一元都知事がこの太田道灌騎馬像に命名いたしました。
ー山吹の里の伝説ー
若き日の太田道灌が狩りの道中で雨に遭い、一軒のあばら家に立ち寄り、蓑(みの)を借りようとしました。しかし、少女は無言で山吹の一枝を差し出し、道灌は怒って雨の中を帰りました。
その後家臣から、少女は「七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき」という古歌によせて、蓑ひとつない貧しさを山吹に託したのでしょうと聞き、己の無学さを恥じ、歌道にも励むようになったと言われています。
    1989年 荒川ライオンズクラブ25周年記念 寄贈

Re: 東京都の銅像 - 林 久治 URL

2024/01/30 (Tue) 15:24:59

紅皿(荒川区)
設置場所:東京都荒川区西日暮里2-19 JR日暮里駅東口ロータリー
制作者:平野千里(1948-、荒川区在住)
除幕式:2019年5月23日
寄贈者:東京荒川ライオンズクラブ
画像提供:ヒロ団長
林久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:本像傍の案内板より
太田道灌 山吹の里伝説
 鷹狩りの途中で道灌が急な雨に遭遇し、路傍の農家に立ち寄り、蓑を借りようと声をかけると、一人の娘が出てきて、黙って一枝の山吹を捧げた。
 「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」(後拾遺和歌集・兼明親王)
 「山吹」の意を得ずに、憤り帰った道灌は、家臣から「山吹」の意を告げられる。娘が古歌に託して「実の」に「蓑」をかけ「お貸しできる蓑もございません」と詫びていたことを知った道灌は、この後、和歌の道に精進するようになったと言われている。
荒川区周辺は、道灌の鷹狩の場であり、花の木(現在の荒川六丁目)辺りに住んでいた高畠三左衛門の娘が、山吹の枝を差し出したと伝える。なお、この山吹の里伝説は、荒川七丁目の泊船軒、豊島区高田、新宿区新宿、埼玉県入間郡越生町など、各地にその伝承地がある。
平成三十年五月 荒川区

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