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杉並区の銅像 - 林 久治 URL
2024/09/14 (Sat) 21:25:32
団長様
杉並区の有院遍良像を投稿します。本像は「new日本の銅像ギャラリー」の東京都杉並区欄に収録されていません。
有院遍良(杉並区)
設置場所:東京都杉並区松庵1-9-33 玉成保育専門学校の事務所玄関
制作者:不明
制作時期:不明
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:有院遍良さん(出生名はSophia Arabella Irwin:1883年11月24日-1957年6月)は東京生まれ、通称はベラ。父のRobert Walker Irwin(1844-1925)は米国出身の実業家で、ベンジャミン・フランクリンの子孫である。1866年に来日して貿易業に従事し、1881年から1898年まではハワイ王国の総領事や駐日公使を歴任した。母の武智伊喜(1851-1940)は元土佐藩士で浅草橋場町(現・橋場)の海産物問屋、武智惣助の養女で、読み書き、書道、茶道、華道、琴、日本舞踊など、十分な教育を受けていた。二人は1870年から同居を始めたが、正式な結婚として法的に認められたのは日本側で6年後、米国側で12年後の1882年となった。これは、日米結婚の第一号であった。夫妻の間には、ベラを長女として6人の子女に恵まれ、全員米国に留学している。ベラはミス・ハースト・スクール卒業後、コロンビア大学の夏期講座を経て渡欧し、イタリアでモンテッソーリ教育法、ドイツでフレーベル遊戯の恩物を学び、ロンドンの貧民施設で実習するなど児童教育を研究した。帰国後、1916年に保母養成所と保育園(現・玉成保育専門学校)を設立し、学長を務めた。ベラは42歳のとき有名な歴史学者の朝河貫一に求婚されたが結婚に至らず、生涯独身だった。日米開戦後、アーウィン一家は日本国籍を取得することを決め、日本に残った。1942年、彼らは姓を漢字の「有院」に変え、ベラは「有院遍良」という日本名を採用した。