銅像情報共有掲示板

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徳島県の銅像 - 林 久治 URL

2024/11/12 (Tue) 15:49:33

団長様
徳島県の銅像を3基投稿します。最初の2像は、「new日本の銅像ギャラリー」の徳島県欄に収録されていません。最後の1像は収録されていますが、新規情報を投稿します。
宮崎鉄風(鳴門市)
設置場所:徳島県鳴門市撫養町黒崎字八幡130 宇佐八幡神社境内
制作者:岡田晃(経歴不明)
鋳造:松本長敏(経歴不明)
設置時期:1984年9月11日
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:宮崎鉄風(本名は四郎、1874-1943.9.11)は鳴門市生まれの神職。本像台座の銘盤に以下の記載あり。
宮崎四郎先生は明治七年鳴門市里浦町粟津に御生誕。質性明敏剛直、皇典を修め五等学正の学階を受けられ、宇佐八幡神社諏訪神社他二十余社に奉任せられ奏任官を以って待遇せらる。神社祭式に御造詣深くあらせられ明治四十二年内務省の嘱託により皇典講究所講師として国学院大学に教鞭をとられる。学長杉浦重剛先生又鉄風先生を篤く信任し、鉄骨仁風、天下の熱を清めん欲すの鉄扇を贈らる。大阪皇典講究分所講師、徳島県皇典講究所講師、全国神職会評議員等の役職及び御神勤の御繁忙の中をさかれて鉄風義塾を開講子弟の養成に盡瘁せらる先生の御薫陶をうけて神職となりし者百数十名の多きに及ぶ。先生著書に、神社祭式行事作法要義等あり。尚講習会講師の労を惜しまれず、雑誌、斯道を刊行する等遍く県民教化をはかられしに昭和十八年九月十一日御年七十一才にて御逝去せらる。恂に哀痛いに堪えず。御功績により従六位に叙せらる。
嗚呼宮崎鉄風先生、お別れ申して四十年茲に門下生相計り徳島県神社庁及県下神職並有志各位の御協賛を得て御胸像、マス御奥様の御浮彫を建立して偉大な御高恩を讃仰申し上げる。
昭和甲子年九月十一日 再拝 二拍手 (昭和甲子年:昭和59(1984)年)

Re: 徳島県の銅像 - 林 久治 URL

2024/11/12 (Tue) 15:52:40

大社義規(名西郡石井町)
設置場所:徳島県名西郡石井町高川原字高川原838−1 日本ハムファクトリー株式会社徳島工場 玄関前
制作社:竹中銅器
原型作者:熊谷友児
設置時期:2024年4月
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:大社義規(おおこそ・よしのり、1915年2月1日 - 2005年4月27日)は、香川県大川郡津田町津田(現・さぬき市)出身。旧制高松中(現・高松高校)卒業後、1934年に生家の没落で旧制高松高等商業学校(現・香川大学経済学部)を中退。叔父経営の養豚組合に就職した後、1942年に日本ハム株式会社の前身母体となる「徳島食肉加工工場」を徳島市で設立。「鳥清ハム」との合併を経て1963年に日本ハムに商号を変更、ハム・ソーセージを中心とした食肉加工のトップメーカーに成長させた。1973年には旧制高松中の先輩である三原脩の勧めにより日拓ホームフライヤーズを買収し、公募で決定した新ニックネームをつけ「日本ハムファイターズ」としてプロ野球に参戦。オーナーに就任し、チームの躍進とともに企業のイメージアップにつなげた。2009年1月13日、特別表彰で野球殿堂入りを果たした。
本像台座の銘盤に以下の記載あり。
『逆境こそ 我が道なり』
 大社義規翁の人生は、お客様への感謝と常に多くの仲間との挑戦でありました。昭和十七年三月に日本ハム株式会社の前身で有る『徳島食肉加工工場』を徳島市寺島本町に創立し、昭和二十年の戦災により一度は焼失したものの、昭和二十三年に徳島市万代町に工場を再建しました。その後、昭和四十九年九月に現在の地、名西郡石井町に現工場を竣工しました。
 翁は発祥の地である徳島から様々な事業を展開し、激動の中で、苦しいときも、とことんあきらめずに努力し、積極的に競争をし、新たな拠点を増やし、また、プロ野球日本ハム球団の経営に参入するなど、食品業界の一角として地位を築きあげました。
 ここ徳島工場を竣工して節目の五十年を迎えるにあたり、この足跡を後代に引き継ぐことは、我々日本ハムグループ役職員の使命で有り、今後も様々な挑戦、共創を行い、企業理念実現に向け日々精進し決意を改め、ここに関係者相計り胸像を建設し、翁の遺徳を偲び功績を永遠に讃えます。
 平成六年四月吉日 日本ハムグループ役職員一同

Re: 徳島県の銅像 - 林 久治 URL

2024/11/12 (Tue) 15:56:05

阿部五郎(徳島市)
設置場所:徳島市新町橋通り 東新町商店街入口の緑地
監修:服部仁郎(1895-1966)は徳島県生まれ。東京美術学校彫刻科卒業。宮本光庸の師。
制作者:宮本光庸(みやもと・こうよう、1913年3月20日 - 2001年3月8日)は徳島市出身。帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)卒業。
設置時期:1965年10月
画像提供:びがろうさん
林久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:阿部五郎(1904年3月19日 - 1963年1月23日)は徳島市生まれ。弁護士、労働農民運動家、初代公選徳島県知事、日本社会党の衆議院議員(5期)。
本像台座の銘盤に以下の記載あり。
従四位勲二等阿部五郎先生は明治三十七年徳島市に生まれ、徳島商業学校を卒業後、県下の労働農民運動を主宰指導する傍ら、刻苦独学昭和十三年弁護士試験に合格、県下無産階級の法廷闘争に挺身せられた。
農地改革中の昭和二十二年初代民選知事に当選清廉純情の県政を以って全県民の信頼を蒐めた。
任期後社会党から衆議院選に出馬連続五回当選十余年間国会で活躍されたが昭和三十八年一月二十三日九段衆議院宿舎で宿痾糖尿病の為急逝された行年五十八歳。
先生を追慕する者相謀り広く浄財を募りこの像を建て先生の遺徳を顕彰するものである。
昭和四十年十月 阿部五郎銅像建設委員会会長 徳島県知事 原菊太郎

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