銅像情報共有掲示板

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東京都新小岩駅周辺の銅像 - 林 久治 URL

2025/02/16 (Sun) 11:19:12

団長様
新小岩駅周辺の銅像を3基投稿します。最初の像は、「new日本の銅像ギャラリー」の東京都葛飾区欄に収録されていません。なお、本像は私の知る限り、現在までどのネット記事にも収録されていない「新規発見の銅像」です。後の2像は、「new日本の銅像ギャラリー」の東京都江戸川区欄に収録されています。しかし、3像目の「弓取り像」の座主名が明確ではありませんでした。今回の探索により、本像は亀井悦造像ではなく、ご子息の亀井瑞雄像であることが分かりました。
渡邉正助(葛飾区)
設置場所:東京都葛飾区西新小岩1-4-6 東京聖栄大学正門前庭園
制作者:立体写真像 代表者・盛岡公彦
設置時期:1987年10月 、 学園創立40周年記念式
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:渡邉正助先生(1902年—1974年1月12日)は、千葉県出身。本像台座の銘文には、以下の記載がある。
 創始者渡邉正助先生は、明治三十五年千葉県に生れ、拓殖大学卒業後、現昭和電工の前身日本沃土株式会社に勤務、のち難病に冒されて長期闘病生活を送られ、九死に一生を得て社会復帰、昭和二十二年夫人富久子先生とともにオリンピア学園を創設、初代理事長に就任されました。
 爾来先生は、卓越した見識と明敏な先見性により現在の聖徳栄養短期大学・同附属わたなべ幼稚園・聖徳服装専門学校・聖徳調理師専門学校の基盤を築かれました。また多額の私財を投じて教育事業の推進と、多くの子女の教育に尽瘁されました。
 そのご功労により昭和四十七年秋の叙勲に際し、勲四等瑞宝章を受章されましたが、二年後に再び病に倒れ、昭和四十九年一月十二日惜しまれつつ、遂に永眠されました。なお生前のご功績により特旨を以て、従五位を追叙されました。
 此の度学園創立四十周年を迎えるにあたり、先生を敬慕する学園関係者一同の総意に基づき、胸像を建立してそのご遺徳を称え、ご功績を永く顕彰する次第であります。
昭和六十二年十月吉日 
学校法人オリンピア学園 学園創始者胸像建立実行委員会

Re: 東京都新小岩駅周辺の銅像 - 林 久治 URL

2025/02/16 (Sun) 11:22:28

亀井悦造(江戸川区)
設置場所:東京都江戸川区中央4-5-23 新小岩香取神社境内
制作者:立体写真像 発明者・盛岡勇夫
設置時期:1979年8月
画像提供:NANAKOさん/たぐってぃさん
林久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:亀井悦造氏(1899—1980)は、明治32年6月6日東京府南葛飾郡西小松川村道ヶ島に生まる。生家は元和時代より続く、間々井の宮香取社の社家で、21代目を継いだ。国学院大学神道部出身。神社本庁参与、香取神社並びに江戸川区葛飾区の数十社の宮司を歴任した。昭和55年4月21日他界する。
本像台座には、以下の銘文がある。
胸像設立の趣旨
 亀井悦造氏は明治32年(1899)6月6日 東京府南葛飾郡西小松川村大字道ヶ嶋12番地に父信太郎 母美年の長男として生まる 大正2年(1913)松川尋常高等小学校を卒業 昭和5年(1930)国学院大学皇典講究所に於いて神職の階位を修得 昭和10年(1935)8月15日関係神社社掌を拝命 昭和36年(1961)神社庁江戸川区支部長に就任昭和37年(1962)より神社本庁参与に補せられ ついで身分2級を賜り近郷の産土神社21社の兼務を拝命さる 氏は社家亀井和泉守源朝臣永好より21代目に当り半世紀を神明に奉仕されたが この度その職を退くにあたり胸像を建立 その業蹟を称え氏の威徳を永久に伝える
 昭和54年(1979)8月吉日
  宮司 亀井悦造氏胸像建立委員会 委員長 久本 翠

Re: 東京都新小岩駅周辺の銅像 - 林 久治 URL

2025/02/16 (Sun) 11:26:40

亀井瑞雄(江戸川区)
設置場所:東京都江戸川区中央4-5-23 新小岩香取神社境内
制作者:立体写真像 代表者・盛岡公彦
設置時期:2012年11月 瑞宝双光章受章記念
画像提供:NANAKOさん/たぐってぃさん
林久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:平成24年(2012年)秋の叙勲受賞者名簿中に以下の記載あり。
瑞双(社会福祉功労・教育功労):元民生・児童委員 、現大杉神明幼稚園園長、東京都江戸川区亀井瑞雄(かめいみづお)、 男(83)。

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