銅像情報共有掲示板
東京都と埼玉県の銅像 - 林 久治 URL
2025/05/03 (Sat) 20:08:48
団長様
東京都と埼玉県の銅像を4基投稿します。最初の像は「new日本の銅像ギャラリー」の東京都文京区欄に収録されていません。2番目の銅像は「new日本の銅像ギャラリー」の埼玉県南部欄に収録されていますが、新規情報を投稿します。3番目と4番目は、撮影の許可をいただけませんでしたので、銅像指名手配・埼玉県欄にご記載下さい。
テミス(文京区)
設置場所:東京都文京区大塚1—4-1 中央大学茗荷谷キャンパス玄関前
制作者:堤 直美(1950- )、静岡県出身、日展特別会員
除幕式:2023年3月30日(中央大学茗荷谷キャンパス開校式)
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:本像台座正面に以下の銘文がある。
テミス像
テミスは、ギリシャ神話にみる法と正義を司る女神です。右手の天秤は法の理念である「公平」を、左手の剣は正義を実現する「力」を表しています。
テミス像は、国内外の法律や裁判関係の建物に見られますが、制作者の意図により、天秤と剣を左右に持ち替えたり、剣先を上に向けたり、外見ではなく心の目で見ることを強調して、目隠しをしたものなどがあります。
日本の最高裁判所にある正義の像は、目隠しをせず右手で剣を突き上げ、左手に天秤を持っています。
テミス像にこめられた意味は、単に司法に限定されたものではなく、社会の公平、経済の公平、そして家庭内の公平にも通じます。総合大学である中央大学に通う全学生が社会に出てから「公平」や「正義」の心を大切にして欲しいとの願いを込めて寄贈します。
2023年3月
弁護士法人TLEO虎ノ門法律経済事務所
代表社員・所長弁護士 千賀修一(1966年法学部卒)
(日展特別会員 堤 直美 作)
Re: 東京都と埼玉県の銅像 - 林 久治 URL
2025/05/03 (Sat) 20:10:33
白井助七(さいたま市大宮区)
設置場所:埼玉県さいたま市大宮区桜木町1-7-8 鐘塚公園
制作者:木村博昌(1939- )、埼玉県出身
制作時期:2004年6月
画像提供:飯坂陽治さん
林久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:白井助七(しらい ・すけしち、1841年2月20日 - 1896年5月19日)翁は、埼玉県の自治功労者。3代目の大宮町長(在職:1895年5月-1896年5月19日)。1957年、大宮市は今日の鉄道都市大宮の基盤を築いた貢献者として「大宮市名誉市民」に推挙され、2001年に合併により設置されたさいたま市より「さいたま市名誉市民」として自動的に顕彰された。本像台座背面の碑文には、以下の記載がある。
大宮維新の人
旧大宮市百年の繁栄を築いた先達者の白井助七翁の偉大な業績とその存在を忘れてはならない。
翁は天保十二年十二月大宮宿大門に生まれ家業の甘藷、肥料問屋を営んでいた。
明治十六年日本鉄道会社によって上野から熊谷間に鉄道が開通したが大宮に駅は出来なかった。丁度その頃商工業の発展には駅は必要だと、白井氏は大野伝左衛門、矢野忠右衛門、岩井右衛門八等と共に駅の必要性を説き、そのために必要な土地、資材の提供を申出て熱心な請願運動を展開した。その努力が実り明治18年大宮駅が開設され鉄道の街大宮への第一歩がふみ出された。
その後これにとどまることなく明治二十五年更に日本鉄道会社の鉄道材料工場建設誘致の運動を展開、これが実って大宮に工場が建設され当時大宮は活気にあふれた。
駅、鉄道工場、街づくり、道路づくりに伴い、仲間と共に土地資材を提供し、鉄道の街大宮の発展に大きく貢献した。
又、鉄道会社より贈呈された謝金を小学校の校舎建築資金に寄贈し、文教の充実にも寄与した。こうした数々の功労により明治二十八年推されて第三代大宮町長に就任、惜しみなく町政に力をつくした。激務であった町政の執務遂行中逝去された。時に明治二十九年五月、享年五十八歳であった。
平成十四年六月吉日
白井助七翁顕彰胸像建立実行委員会
Re: 東京都と埼玉県の銅像 - 林 久治 URL
2025/05/03 (Sat) 20:13:23
銅像指名手配・埼玉県欄にご記載下さい。
長堀千代吉と氏名不詳の方(川口市)
設置場所:埼玉県川口市中青木2-14-12 青木信用金庫本部ビル
本ビルのエントランスホールのエレベーター前に2基の胸像があります。1基は長堀千代吉像で、もう1基の座主は不明です。撮影の許可が得られませんでした。