銅像情報共有掲示板
文京区の銅像 - 林 久治 URL
2025/05/10 (Sat) 11:25:00
団長様
文京区の銅像を4基投稿します。初めの3基は「new日本の銅像ギャラリー」の東京都文京区欄に収録されていません。4番目の像は収録されていますが、新規情報を投稿します。
菊池武夫(文京区)
設置場所:東京都文京区大塚1—4-1 中央大学茗荷谷キャンパス1階ロビー
制作者:Tanaka
制作時期:不明
現在地に移設:2023年3月30日(茗荷谷キャンパス開校)
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:菊池武夫氏(1854年8月21日 - 1912年7月6日)は、陸奥国岩手郡外加賀野村(後に南岩手郡、現在は岩手県盛岡市加賀野)出身。本像前のプレートには、以下の記載あり。
菊池武夫氏略歴(英吉利法律学校創立者・法学博士)
嘉永7年7月生
明治10年 ボストン大学法学部卒業 バチェラー・オブ・ローの学位を受く
明治18年 英吉利法律学校創立
明治21年 法学博士
明治24年 東京法学院長 司法省民事局長 貴族院議員
明治36年 東京法学院大学と改称、初代学長 東京弁護士会会長
明治38年 中央大学と改称、初代学長
明治45年7月没 68歳
Re: 文京区の銅像 - 林 久治 URL
2025/05/10 (Sat) 11:26:42
増島六一郎(文京区)
設置場所:東京都文京区大塚1—4-1 中央大学茗荷谷キャンパス1階ロビー
制作者:立体写真像 代表者 盛岡公彦
制作時期:不明
現在地に移設:2023年3月30日(茗荷谷キャンパス開校)
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:増島六一郎氏(1857年8月6日 - 1948年11月13日[2])は、近江国犬上郡彦根町(滋賀県彦根市)の彦根藩士の家に生まれた。本像前のプレートには、以下の記載あり。
増島六一郎氏略歴(英吉利法律学校創立者・法学博士)
安政4年6月生
明治12年 東京大学法学部卒業
明治16年 ミドル・テンプルにてバリストル(法学士代言人)の学位を受く
明治18年 英吉利法律学校創立 初代校長
明治19年 東京組合代言人会会長
明治22年 東京法学院と改称、初代院長
明治24年 法学博士
昭和23年11月没 92才
Re: 文京区の銅像 - 林 久治 URL
2025/05/10 (Sat) 11:28:31
花井卓蔵(文京区)
設置場所:東京都文京区大塚1—4-1 中央大学茗荷谷キャンパス1階ロビー
制作者:上條俊介(1899-1980)、長野県出身、早大入学後、北村西望に師事
制作時期:1931年4月25日 帝国弁護士会寄贈
設置時期:1995年 中央大学旧駿河台記念館
現在地に移設:2023年3月30日(茗荷谷キャンパス開校)
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:花井卓蔵氏(1868年7月31日- 1931年12月3日)は備後国御調郡三原町(現:広島県三原市)に士族・立原四郎右衛門の四男として生まれ、その後、分家により花井姓を名乗った。中央大学理事・法学博士。本像台座の碑文には、以下の記載あり。
花井卓蔵(中央大学理事・法学博士)
明治2年5月生
明治21年 英吉利法律学校卒業
明治23年 代理人
明治30年 日本弁護士協会創立委員 同評議員
明治31年 衆議院議員
明治39年 法律取調委員
明治42年 中央大学練弁会を辞達学会と命名 法学博士
大正3年 東京弁護士会会長
大正4年 衆議院副議長
大正11年 貴族院議員
大正15年 中央大学理事
昭和3年 勲一等瑞宝章受章
昭和6年12月3日没 享年63歳
同日 勲一等旭日大綬章追叙
平成7年12月吉日 花井斐文遺族寄贈
Re: 文京区の銅像 - 林 久治 URL
2025/05/10 (Sat) 11:30:05
浪越徳治郎(文京区)
設置場所:東京都文京区小石川2-15-6 日本指圧専門学校玄関前
設置時期:1990年2月11日 創立50周年記念
制作者:立体写真像 代表者 盛岡公彦
画像提供:ヒロ団長
林久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:浪越徳治郎氏(1905年11月3日 - 2000年9月25日)は、日本の指圧師、実業家、タレント。香川県仲多度郡多度津町に生まれる。7才の時に北海道虻田郡留寿都村に移住。1940年、東京都文京区小石川に日本指圧学院を設立した。本像台座の碑文には、以下の記載がある。
学校法人浪越学園理事長、日本指圧専門学校校長浪越徳治郎先生は明治38年(1905年)11月3日香川県多度津に生まれ、七歳の時北海道に移住。母堂がリューマチを患い、その看護に当たり指圧のヒントを得て、修業を積み、遂に、浪越式指圧治療法を創案す。
大正14年9月、室蘭市で指圧治療院を開業。その後札幌に進出。昭和8年3月「指圧を天下に広めよう!」と大望を抱き北海道から上京。昭和15年(紀元2600年)2月11日(紀元節)小石川伝通院前のこの地に、念願の日本指圧学校を設立。幾多の子弟を養成し、指圧は今や世界の指圧に発展したのである。
本年は開校50周年の記念に当たり、同窓会が中心となり、恩師浪越徳治郎先生の偉大なる業績を讃え、その人徳を後世に伝えんとてこの半身像を建立した次第である。
平成2年2月11日
日本指圧専門学校同窓生
創立50周年記念事業実行委員会