銅像情報共有掲示板
東京都の銅像 - 林 久治 URL
2025/05/16 (Fri) 16:21:57
団長様
東京都の銅像を4基投稿します。最初の3像は「new日本の銅像ギャラリー」の東京都欄に収録されていません。特に、最初の銅像はどの銅像サイトにも記載されておらず、銅像研究界の新発見です。最後の銅像は、私が本サイトに以前投稿し、「new日本の銅像ギャラリー」の東京都文京区欄に収録されています。しかし、本年になり文京区から新宿区に移設されました。
橋本健太郎(文京区)
設置場所:東京都文京区小石川4-1-20 竹早教員保育士養成所1階ロビー
制作者:不明
除幕式:1997年11月30日、創立110年記念式
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:橋本健太郎先生の生没年は不詳で出身地は不明であるが、橋本先生は東京学芸大学及びその前身の東京府立師範学校では重要な人物であり、次のような記録が残されている。
1949年5月13日、橋本先生は東京師範同窓会理事長に就任、1950年4月1日に竹早教員養成所の初代所長に就任(在任は1966年3月31日まで)。1957年1月25日、竹早教員養成所は文部省指定教員養成機関認可、橋本先生は初代理事長・所長に就任。1957年7月5日、文京区小石川4丁目1番16号に2階建新校舎竣工。1961年に校歌制定。1965年 9月14日、学校法人竹早教員養成所を学校法人竹早学園に組織変更認可、学校法人竹早学園つつじがおか幼稚園設置認可(初代園長に橋本先生就任)。
Re: 東京都の銅像 - 林 久治 URL
2025/05/16 (Fri) 16:23:27
テミス女神(港区)
設置場所:東京都港区西新橋1—20-3 虎ノ門法曹ビル前
制作者:堤 直美(1950- )、静岡県出身、日展評議員
設置時期:2006年3月3日 虎ノ門法曹ビル竣工記念
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:本像横のパネルに以下の説明文がある。
テミス像
テミスは、ギリシャ神話にみる法と正義を司る女神です。右手の天秤は法の理念である「公平」を、左手の剣は正義を実現する「力」を表しています。
テミス像は、国内外の法律や裁判関係の建物に見られますが、制作者の意図により、天秤と剣を左右に持ち替えたり、剣先を上に向けたり、外見ではなく心の目で見ることを強調して、目隠しをしたものなどがあります。
日本の最高裁判所にあるものは、右手で剣を突き上げ、左手に天秤を持っています。
このテミス像は、虎ノ門法曹ビルの落成を記念し、法曹の使命と法の理念を象徴するものとして、これにふさわしい表現を追求し、日展評議員堤直美氏に彫刻を委嘱して制作されたものです。
2006年3月3日 株式会社 虎ノ門法曹ビル 代表取締役 千賀修一
Re: 東京都の銅像 - 林 久治 URL
2025/05/16 (Fri) 16:25:20
テミス女神(港区)
設置場所:東京都港区西新橋1—20-3 虎ノ門法曹ビル玄関ロビー
制作者:不明
設置時期:不明
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:不明
Re: 東京都の銅像 - 林 久治 URL
2025/05/16 (Fri) 16:27:12
内村祐之(新宿区)
設置場所:東京都新宿区弁天町91 神経研究所附属晴和病院1階ロビー
制作時期:2006年12月
移転時期:2020年6月 晴和病院建替えのため東京小石川病院に一時移転
復帰時期:2025年3月 晴和病院の竣工
制作者:宮田亮平(1945年生、佐渡市出身、第22代文化庁長官、第9代東京藝術大学学長。同名誉教授)
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:内村祐之(うちむら・ゆうし、1897年11月12日 - 1980年9月17日)は内村鑑三(1861-1930)の長男として東京府に生まれる。1923年春に、東京帝国大学を卒業。1925 年から1927年までドイツ留学。1936年に東京帝国大学医学部教授(1949年まで東京都立松沢病院院長兼任、学部長も務める)となる。1949年の法律改正により東京大学教授(国家公務員)が松沢病院院長(地方公務員)を兼任できなくなったので、松沢病院を退職し1951年に晴和病院を開設した。さらに、1958年に東京大学教授を退職した後、神経研究所の創設に努力した。大正時代に一高、東大で不世出の名投手とうたわれた。1962年5月、日米の野球に精通した人物として日本野球機構第3代コミッショナーに就任(1965年4 月まで)。なお、本像は清和病院の建替えのため小石川東京病院に一時移転していたが、2025年3月に晴和病院に復帰。